みなさんこんにちは

理屈っぽいドラマーの山口です
台風ばかりの10月が終わり、11月に入りました。
うちの実家の屋根にある笠木が風で吹っ飛ばされていたことを昨日知らされました。ちゃんと修理したか聞いたところまだほったらかしだと、、、
思いっきり説教して急いで応急の処置をしに実家に行ってまいりました。
さっさとマトモな業者に依頼していることを祈ります。
さて、今日は印象的だったことを覚えておくための備忘録
ちょっとばかり理屈っぽいことでしょう
こちら
先日の明石家さんまさんのラジオでの一コマのようです。共演してたアイドルの方の座右の銘が『努力は必ず報われる』だったようでそのことについて説教されてます。
この座右の銘を変えるべき
努力という言葉自体が良くない
努力という言葉に逃げるやつが多くてイヤ
というのがさんまさんの考えのようです。
この意見について私はほぼ同意見です。私の考えるところの同じ意味の言葉がありまして、、、誰が言ってたかなー、、、?忘れてしまいましたがこちら
どんなに頑張っても楽しんじゃってる奴には勝てないよ
意味は通じますでしょうか?
私は
『努力は報われる』という言葉にそもそもの間違いがあると感じてまして、、、
この言葉の響きには、努力とは辛くしんどいものでそれを頑張って耐えしのぎ乗り越えたら後で良いことが起こるというようなニュアンスだと思います。
努力とはイヤなもの、という位置付けになるかと。
ここがまず一つの間違い。
そして、報われるということはどういうことなのでしょう?
ある意味、自分のやってるイヤなこと、つまりは努力から解放されるということでしょうか?
何かしらお金を得られて生活が楽になってとかそういうことでしょうか?
これもまたもう一つの間違い。
私は20代中頃から後半のころ毎日ドラムを練習しておりました。
1日最低8時間。多い時はもっと。周りの人には、そんなに頑張って凄いねとか言われた事もあります。
ですが、私としてはそれほど頑張った気は今もありません。普通に日常のことでした。どちらかというと練習量が足りなかったと今でも感じています。
私がやってきた練習というものは努力だったのでしょうか?
正直なところ一度も辛いと感じたことはありません。楽しい毎日です。
なかなか自分に技術が身につかないことに対するイラだちとかはありましたが、それも含め楽しいものです。
ある程度の技術が確固たるものとなり、色々お仕事をもらえたり、声をかけていただいていろんな人と演奏で出会えたり再会したりありました。練習ばかりしていたときに比べるとある程度は生活も成り立つようにはなりました。決して楽ではないですが。
では、これで私は報われたのでしょうか?
『努力は必ず報われる』という言葉への違和感がここにあります。
私の意見として、
1.イヤなことならやめよう
2.自分への見返り等関係なく打ち込めるものを極めよう
と考えてます。
私で言えば、ドラムの練習が苦痛でイヤならば、ドラム自体をやるべきではないです。
そして、見返りがなければドラムをやることに意味がないのか、と言えばそんなことは一切なく、もしもドラムが仕事でなくなったとしてもずっとドラムはやり続けることでしょう。
つまりは、、、
努力とかいうものを努力として位置付けてる時点で、その取り組んでいることは向いてないしやめるべきなんでしょう。
ドラムが大好きな人は誰に言われずとも勝手に練習してるし、深く掘り下げて続けているものです。そして、その練習はわざわざ時間を割いてやるというものではなく毎日の日課のように当たり前にそこに存在してるものです。
以前にも書きましたが、プロになりたいと言ってるのに練習が足りない人は、たぶんその時点で向いてない。
それでいうと努力は報われないのがほとんどでしょうね。
お金が欲しいなら儲かるためのことを色々考えれば良いわけで、わざわざ努力とかに結びつける必要もないわけです。
みなさんはどうお考えでしょうか
好きこそものの上手なれ
という言葉が正解だと私は考えます。
辛いことに耐え忍んでるなら、もっと自然に打ち込める他のことがたぶんありますよ。
ではでは今日はこの辺で
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